2011年6月14日(火) 01:28
【バンドとベースの思い出 1999年~2001年】
1999年
大学に行く為、千葉県市川市で一人暮らし始める。
スポーツ推薦だった為、毎日バドミントンに励む(ちなみに高校もスポーツ推薦)。
部活以外の友達が居なかった為と関東の都会にビビり、家と大学以外の外出を控えた。
会津から関東に出てきた友達と会う為に、渋谷へ行った時はオドオドしてた。
ちなみに当時はガングロギャルがいっぱいだった。ヤマンバ。
大学1年で若かったこともあり、部活の練習方針に納得がいかず、バドミントン部を退部。
特にウサギ飛びを毎日やらされたのは納得いかなかったわ。
部活の先輩、同期にはお世話になりました。
時間に余裕が出て、ディスクユニオンやタワーレコードに毎週行くようになって音楽がすべてとなった。
ある日、大学で阿部君(会津藩の結成メンバーのMr.ノリック)に突然話しかけられ、共通の友達の話題と音楽の話題で仲良くなり、バンド組むことにした。
同じ大学で会津出身のヒロシにドラムやってみないと誘った所、やってみたいと乗り気。翌日にお茶の水で電子ドラムを購入させ、ドラムに決定。
まずはRANCIDのコピーをやることにした。俺が一番好きなLET'S GOのアルバム。
しばらく練習したけど、難しくてコピー終了。
そして、オリジナル曲を作り始める。
2000年
バンド名を会津藩と決める。
メンバーは2人とも苦笑い。
当時、日本語のバンド名は少なかったし、すぐ覚えてもらえる名前にしたかった。
そして曲作りも本格的に行い、初ライブも意識するようになる。
ライブできる曲数が出来た。
問題は会津の男3人はシャイだった。
女と話せないと言う病だった(何話していいか分からない、無口な男はかっこいいと勘違い)。
もちろん彼女も居なく、全員ほぼ童貞と言う状態。
とても残念な3人の青春。
2001年
大学の音楽サークルイベントに誘われる。
会津藩 初ライブ
なぜかリハーサルに行かない。
アンプのボリュームをどんくらい出していいか分からず、ほぼMAXにしてライブ。
の7曲でMCが2か所。
MCは阿部ちゃんだったんだけど、FUCKとしか言ってなかった。
その後は、いつも通り阿部ちゃん家で飲んで寝た。
この年に私は大好きな彼女できました(酔っぱらって毎日電話から進展)。
毎年恒例のファッキンバレンタイン集会に欠席(チョコをもらえない男達の集まり)。
もてない会の脱会。ここから会津藩の3人は別々な方向に進みつつあった。
阿部ちゃんも近くの女子大に通っていた年上の彼女ができる。
通称⇒肉まん めっちゃ巨乳
ヒロシはバンドよりヒップホップが好きになった。
年下の彼女が出来て童貞卒業。
2001年は5本のライブとなった。
この年でこの3人での会津藩は最後となった。
続きはまた書きます。
写真とか載せたかったけど、デジカメとかカメラ付き携帯電話もない時代だったからデータがないな。写るんですとかだったもんな。写真をスキャナーで取り込むしかないね。
http://aizuhan.jp/mt/mt-tb.cgi/372